これまでの学びの成果①
気が付けば大学生活も前半2年を終え、いよいよ本格的な学問の世界へと入っていこうとしているという気がします。
ということで、これまでに学んできたことについての記事をいくつか。
アウトプットすることによる備忘録としての意味合いが強いですがご容赦ください。
〈社会学の古典から〉
1年生の後期にE・デュルケームの『自殺論』を、2年生の後期にはE・デュルケームの『社会学的方法の規準』、M・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』『社会学の根本概念』を読みました。
今後の学びの原点としてこれらを読み、短い期間でも議論できたことは良い経験だったと思います。
デュルケームは社会を個人とは切り離してとらえ、個人の思考や行動は社会的な影響を受けていると考えました。社会学に求められるのは社会そのものを他の物と同様に観察することで科学的に理解することだとし、そのために統計などの手段を用いて客観的な理解を可能にすることが必要であるとしました。
これは現代でもそうですね。僕たちは普段、法律よりも道徳や周囲の目を気にして動くことが多いように感じます。法律自体、社会に存在してきた暗黙のルールを明文化したという側面もあるでしょう。そして、個人とは異なった性質を持つものとして社会を考えるならば自然科学と同様の手法を用いて研究する必要があります。
他方でウェーバーは、社会は個人の行動によって構成されてきたと考えます。相手と自分の行為が相互に影響しあうとき、そこには社会的関係が誕生していると言えます。行動は結果を重視する目的合理的行為と、行為そのものに意味がある価値合理的行為の2種類に大別され、あらゆる行為はこの2つの要素を程度の差はあれど含んでいます。
こうした2つの見方は多くの議論の余地を持ちます。
例えば、社会の最小単位は何人でしょうか?ウェーバーであれば、相互に影響しあう行為が社会の要件なので2人で社会といえるでしょう。
一方、デュルケームの理論に従えば秩序の存在が必要なので3人になりそうです。2人の時には単なる取り決めはあっても、破ったときに罰ではなく闘争が発生するため、秩序として不完全に思えます。
他にも、行為の影響力をどのように観察するのか、宗教的行為は社会的といえるか、などなど…
まだまだ多くの問いがあり、考えなければならないことはたくさんあります。
また、社会学の範囲にとどまらず、哲学や心理学、倫理学、法哲学など、多方面からのアプローチも必須でしょう。
考え始めると止まりませんね。ひとりで考えるのも、議論するのも実に楽しいです。
こんな感じで、学んできた成果を今後もいくつか書いていくつもりです。
良かったらコメント等頂けると嬉しいです!