ゼミ 4/19

昨日は初めてのゼミがありました!

3,4年生と教授を交え、17~19時の予定が20時まで延長するほどの熱い議論ができて非常に有意義でした。

 

比較政治、政治理論を専攻していくということで、古典から新書まで幅広いジャンルの本を週に1冊読み、内容をまとめる人と論点を挙げていく人に分かれて議論していくという形式。

週に1冊というのがまぁまぁ重いのですが勉強へのモチベーションが高まっている今は大丈夫です。バッチコイです。

 今回読んだ本はこちら。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

 

『多数決を疑う』です。

多数決は様々な場面で使われているにも関わらず、実は細かく検討していくと優れたやり方ではないということが分かります。特に、衆議院選挙のような重要な多数決においては、民意を的確に集約できないルールは民主主義の根本にかかわってくる問題です。

 

多数決の最大のデメリットは「票割れ」です。3つ以上の選択肢がある時、票が分散してあまり望まれていない選択肢が勝ってしまうことがあります。

また、ペアごとにして2択の状況を考えた時に、ペアで勝てない選択肢が全体では1位に

なってしまうことも考えられます。

 

これを踏まえて考えると、多数決が使われているのは「文化的奇習」だと筆者は主張しています。

代替案の中で筆者が推すのは「ボルダルール」です。

3つの選択肢であれば1位に3点、2位に2点、3位に1点と割り振って評価する方式です。

この方式だと全体の順位とペアを作った中での順位の両方を考慮することができ、死票も事実上なくなります。また、他にも選択肢に点差をつける方法はありますが、等差に刻むことでさらに公平になり、理解しやすくなります。

 

他にも真ん中の選択を採用する「中位選択肢ルール」、金額で評価して最もプラス評価を得た選択肢を採用する「クラークメカニズム」などが紹介されていました。

 

こうした選択肢と比較すると、なぜ多数決が採用し続けられているかが疑問になります。

理由として考えられるのは

・わかりやすさを最優先する風潮がある

・見直そうという風潮がそもそもない

・(衆議院選挙)多数決で選出された議員が、自分の利益を度外視して現行制度を変えることは考えにくい

 

等の意見が出ました。

また、こうした状況を踏まえた日本政治の問題点として、代表制のため民主主義が形骸化しているという指摘がありました。

住民投票公聴会という手段はありますが、結局は法的拘束力がない中で執行する側が絶大な権力で民衆の要求を退けることができる点が問題です。

解決策としてはクラークメカニズムの導入で、立法と行政のバランスをとることにつながると考えられます。

全体としては、状況に応じて適切な民意の集約法を使うことで、なるべく民主主義を実質的な、有意義なものにしていくことが必要で、そのための議論を惜しむべきではないという話に落ち着きました。

 

多数決を疑うという姿勢そのものが、普段の生活の中であまり出てこないと思います。が、よく考えてみると実は変えることに何の不都合もないということが分かりました。

視点としても他の人が挙げた論点は自分では気づけないことが多く、そういった点でもゼミの有意義さを感じました。