ゴールドコーストに行った話④
完結編です。良かったら前回のも読んでいただけたらと思います。
さて、マラソンについては書くことはあんまりないかなって感じです。
それまで全然練習していなくてもハーフマラソンに2回ぐらい出て、それなりに走ることができれば完走すること自体はそんなに難しくないと思います。
そこからタイムを挙げていくのは大変で、時間のかかることだとは思いますが。
時間を持て余した大学生なんかは始めるのにぴったりじゃないでしょうか?
色々な所でしゃべっても、非常に大人受けがいいです。
「フルマラソンを走り切る根性のあるやつ」みたいに認めてもらえる感じがして、なんだか少し偉くなったように感じます。
なにより練習と本番を通して、自分が成長していることをビシビシと感じられます。
この前走ったときに1時間かかった距離が、前よりも楽に55分で走れている!みたいな。
こういう「成長を即座に実感する」経験って年を重ねれば重ねるほど貴重になっていくように思います。
最初は短い距離からでいいんです。だんだん成長していくことが大事なんです。
始めましょう、ランニングのある生活。
頑張るとこんないいメダルをもらえたりします。
閑話休題。
ゴールドコーストについて。
気候も温暖で過ごしやすく、観光地にも困らず、
とってもいいところでした。(安直)
たかだか3泊4日でしたが、この時期に行くと日本の秋ぐらいの気温で最高です。帰りたくなくなります。
食べ物もまぁ、色々ありました。
やっぱステーキ食べとくのがいいですよね。オージービーフ。
やたらハンバーガー食べてましたが、まぁそれはそれで。
ちょっと物価は高いように思いますが、観光地ということでそんなもんかなと。
交通の便もよく、頻繁にバスと路面電車が来ます。10分以上待つことはありませんでした。
日本のバスとか電車の、ちょっとレベル高めな地域をイメージしてもらうと大体そんな感じです。
例えば、京都の市バスって行き先わかりにくい部分ありますよね特に途中。
あんな感じです、僕の印象的には。
まぁ、事前にちゃんと調べたりしていけば問題ないと思います。
結構日本語の案内を見かけたり、ホテルにも日本語対応してくれるところがあったりするので、そのあたりもポイント高いように思います。
ゴールドコーストの宣伝もしたし、マラソンの話もしたので、あとはこの記事がバズるように祈るだけですね。
もしよろしければコメント等お願いします。
ゴールドコーストに行った話③
さぁ、今回はいよいよマラソンを走ります。
まだ夜も明けない5:30,会場に集合。
HISさんのテントまでバスあり、荷物預かりあり、ストレッチプログラムありと至れり尽くせりの感じ。
周りに日本人が多いというのはなんだかんだ安心できていいもんですね。
円陣を組み、頑張ろうということでスタート地点へ。
事前に登録したゴール予想タイムでスタート地点が分かれてて、初マラソンの僕は当然一番後ろからスタートするのが筋なのですが、
なぜか一番前のブロックに。
おかしいな。登録間違えたのかな。
隣にいた日本人の腕には「3:30」の文字。僕とは1時間の差です。
その日本人が別の場所に移動していった後はタトゥーゴリゴリの190㎝ぐらいある屈強な外国人に四方を固められ、ひたすら「なんだこれは!」っていう気持ちでした。
偉い(であろう)人がスタートの合図前に盛り上げてくれていました。
聞き取れた感じだと
「諸君らはマラトンの兵士のregacyだ!Awesomeだ!spiritが試される30kmからが本番だ!」
みたいな、もうマイクパフォーマンスのレベル。
めちゃくちゃテンション上がったところで、7:20スタート!
ちょうど日が昇ってきたぐらいの感じで、海沿いも気持ちよく、沿道の声援も嬉しい感じ。
「You are awesome!」ってよく聞きました。
日本語だと「超すげぇ!」かな。「半端ないって!」かな、今だと。
そんなことを思いながら、ゆっくり目を意識して走っていきます。
ガンガン抜かされていきますが、周りにいるのは4時間切って当たり前の猛者ばかりなので心配いりません。そもそもエントリーの時点でミスってるんですから。
それでも10kmで57分とやや早すぎたかな、ぐらい。
10kmぐらい走るとランナーのレベルがだいたい落ち着いてきます。
よくしゃべる男性二人組とか「それでいける?」っていうぐらいデ…ふくよかな女性をよく見かけました。
確か15kmぐらい走ったところで折り返してきたトップ集団とすれ違いました。
川内選手とか、村山選手とかはわかりました。
川内選手のあの死にそうな表情は生で見てもインパクト強すぎです。
20km地点で1時間57分ぐらいでした。
よく考えたら、ハーフが1時間52分なのにこのペースってオーバーペースもいいとこですね。
ただ、周りの声援にも後押しされ、給水もおろそかにしなかったことでかなり順調な感じ。
30km地点では3時間を切れていました。ここまでは事前の練習通り。
そのあとはもう地獄でした。
心肺機能には問題ないんですが、とにかく足が前に出ない。
1kmごとに表示が出るのですが、見落とした?と思うぐらい進みません。
しかも35kmぐらいの所が郊外で声援も減り、いい加減死ぬかと思いました。
目標として「4時間15分以内」を掲げていたのですが、
いかに甘かったか、存分に思い知らされることとなりました。
進まないんだもん。
半泣きの状態で歩いたり止まったりを繰り返しながら進むこと約1時間、、、
ようやく40kmの表示が見えました。
HISのスタッフも応援してくださっていて、ランナーはシールで見つけられるようになっているので
「かっこ悪いところだけは見せたくない!」という見栄っ張り根性だけは強く
最後は応援の力もあって走ってゴールすることができました!
4時間39分48秒。
決して早くはない、伸びしろだらけのタイムだと思います。
練習不足とか、そもそも初めてとか、色々ツッコミどころはありますが、それでも
「フルマラソンを完走する」という達成感を得られたことが嬉しかったです。
走っていて思ったのが、応援は本当に力になるということです。
「Keep on!」「Going on!」とかの英語はもちろん「ガンバレ」も数多くいただき、そのたびに泣きそうでした笑
これだけでも走ってよかったなって思います。
全肯定してもらえることってなかなかないですから。
今回はマラソン走っただけでおしまいです。
次がその後の話とかまとめとかです。
ゴールドコーストに行った話②
そもそも、1人で海外に行くこと自体はじめてなわけです。
飛行機とかもよくわからないし、現地で合流できるかどうかも不安なわけで。
で、結果論なんですが、
特に何も起こりませんでした。
成田空港の第3ターミナルがめちゃくちゃ何もなくて暇だとか、その程度。
入国審査でパスポートが機械に弾かれた時はちょっと焦りましたが、困惑した顔をしてたら係員が来て対応してくれたので事なきを得ました。なんでだったのかはいまだにわかりません。
さて
何はともあれゴールドコーストについたのが6/30の7時ごろ。
ここから丸1日はフリーで、7/1に走って7/2には帰国するという「マラソンのためのツアー」なのです。
サーファーズパラダイスという海沿いの繁華街にあるマントラ・レジェンズというホテルです。
17F、1人部屋、オーシャンビューというぜいたく具合。
(こんなに良くなくていいから安かったらな…)とは思いましたが、ありがたいことです。
ホテルの横にあるスカイポイントという展望台へ行きます。
入場料は25ドルとやや高価だったものの、リゾート感が味わえて良かったです。
内陸部に何があるのかわからないままでした、そういえば。
ツアーの特典としてバスとトラム=路面電車の1日乗車券をもらっていたのでフラフラ出かけます。
バーリーヘッド国立公園という観光スポットが近いということで行ってみることに。
バス、非常に良いです。10分間隔ぐらいで来るし、運転もスムーズ。(グラスゴー比)
で、ここでアクシデント。
運よく座れたのをいいことに、長旅の疲れからかウトウトと…
気づいたらバス停を寝過ごしていました。
いやぁ困ったもんですね。
とりあえず次のバス停で降り、逆方面のバスを目指しますが
バス停がない区間だったようで…
15分ぐらい歩きました。
オーストラリアはちょうど冬なんですが、ゴールドコーストは暖かい。
半袖でも大丈夫な気温でした。
汗をかきかき逆方面のバス停につき、乗ったら運転手が「どこまで行くのか?」聞いてきたけど意思疎通できず。
外国人に対しての思いやりにかけてますよね、まったく。
次のバス停ですぐ降り、国立公園を目指します。
が、どうにも入口が見つからなかったので諦めて、もう少し散歩することにします。
途中にあったPacific Fair というショッピングモールに入りますが、全然ららぽーとと一緒なので特に見るものはありません。広くて道に迷うとこまで一緒。
お土産を適当に選び、ステーキを食い、散歩し、HIS主催のストレッチプログラムに参加します。
全然知り合いがいなかったのですが、この時に人の良さそうな、めちゃくちゃ体の引き締まったおじさんと仲良くなります。
夕飯には朝に引き続きハンバーガーを食べました。
15ドルしたので、やっぱり物価は高い気がします。
まぁ、観光という程はできませんでしたが、それなりに外国感を楽しむことはできました。
次はいよいよマラソンします。
ゴールドコーストに行った話①
急にですが、6/29~7/2までオーストラリアのゴールドコーストに行ってきました!
目的はこちら。
過去記事で何度かランニングにハマっているということは書いてきているんですが、
koba2580hitotsu.hatenablog.com
これが一番最初で
koba2580hitotsu.hatenablog.com
これが初めてハーフマラソンの大会に出た話。
koba2580hitotsu.hatenablog.com
で、これが2回目のハーフマラソン。
2回大会に出てみて、正直、
「ハーフマラソンは『イケる』な」
という傲慢な感想を持ちました。
タイム的には全然伸びしろありまくりなので今後に期待なんですが、
とにかく完走するだけなら問題ない。
というか、ハーフマラソンの距離ってちょっと頑張れば普段の練習として走れる。
じゃあ、次の目標はどこに置くか?
フルマラソンでしょ。
ということで、挑戦を決めた次第です。
ただ、立川のハーフが3月で、マラソンのシーズンとしては終わりかけ。
「鉄は熱いうちに打て」とも言いますし、なるべく早いうちに出られる大会はないかなぁ…
初めてだから大きめの大会の方がサポートとかも充実してそうだしいいなぁ…
日本だと暑くなるし無理かなぁ…次の冬か?
ん???
ありました。
「今年で40回目となるゴールドコーストマラソンが、2018年6月30日(土)・7月1日(日)にオーストラリアで開催されます。この大会に参加される方は約30,000人。日本からは1000名ほどのランナーが参加し、日本人に愛される海外マラソンのひとつとなっています。
ゴールドコーストマラソンはコースが平坦で走りやすいと言われており、完走者の6割が自己ベストを更新。初心者はもちろん、ベテランランナーで記録更新を目指す方にもお勧めのマラソン大会です。」
(公式サイト
より)
条件満たしすぎでしょ。
マラソン仲間などは(熱心な布教もむなしく)1人もいないので、単独でも挑戦です。
(さすがに怖すぎるのでHISさんのツアーに参加)
つまり、
⑴初めての ⑵フルマラソンに ⑶一人で ⑷海外に行って
挑戦するという
無謀な話。
全3回ぐらいでしょうか。
お楽しみに!!
ワールドカップ
いやぁ、まさか本当に予選を突破するとは。って感じですね。
僕自身は何にもサッカーに詳しくはないのですが。にわかです。
本田とか香川とか長友とか、ずーっと出てる人たちがまだ出てて(しかも(素人目には)ちゃんと活躍してて)っていう状況はどうなのかなとも思いましたけど、結果的に勝てたので何よりです。
それよりなにより、突然監督に就任された西野監督という方、すごくないですか。
突然代表の監督なんていう超プレッシャーのかかる役割につけられて、そこから間もなく4年に1度のワールドカップ。
無茶言うな!って感じだったと思います。僕だったら言います。
しかも、その中で結果を出すところですよ。
世界ランクが日本より上の相手ばかりのグループで、全敗まであると予想されてのスタート。
1勝1敗1分って大健闘でしょう。
ポーランド戦の後「せっかくなら勝って予選突破してほしかった」みたいなこと言ってる人も(Twitterとかで)見かけましたが、
いやいやと。格上だぞと。たまたま今大会は敗退が決定している状況とはいえ、それでも日本より地力があるというのは忘れちゃいけません。
1つの勝ちに浮かれて現状を見失うのは良くないですよね。
それより何より、ポーランド戦の最後のパス回しの時間。
コロンビアがセネガルをこのまま破ると日本も決勝トーナメントに行けるというルールの下のベンチからの決定のようで。
「勝負師」って感じですね。
自分らの運命を他のチームに投げるのが勝負師かはともかく、ギャンブル的でも確率の高い方に冷静に方向転換したってことです。
こんなことできますか?
会場でのブーイングもテレビ越しにわかるぐらいすごかったです。その中でも判断をブラさない強さ。
監督の良しあしでそこまでチームが変わるとは思ってないのですが、今回みたいなケースでは監督の力が分かりやすく問われますね。
野球では中日の落合監督時代が似ているように思います。「勝つことが最大のファンサービス」という哲学のもと、非情とさえ言われる采配で日本一になりました。ただし、見ていて面白くないという批判も間違いなく存在しました。
「見ていて面白くないから批判する」というファンのあり方ってものすごく難しいですね。
当人たちは必死に結果を追い求めている、けどファンあってのプロスポーツとしては見せ方も考えなくてはいけない…
僕は昨日の采配については賛成です。大会前から勝ちにこだわるといってきたチームとして、最適な判断だったでしょう。
あれを批判する人って甲子園でのカット打法とか、有名どころでは松井秀喜の5打席連続敬遠も批判するのでしょう。「正々堂々と対決して、ダメなら潔く負けろ!」とか言って。
そんなことに構っていられる余裕はないと思います。1度しかないチャンスに命を懸けている当人たちにとって、目の前の勝利こそが大切なのです。
だからこそこの決勝トーナメント進出には価値があると思います。この後が楽しみですね。いよいよ強豪しかいないわけですから。
ワールドカップ
いやぁ、まさか本当に予選を突破するとは。って感じですね。
僕自身は何にもサッカーに詳しくはないのですが。にわかです。
本田とか香川とか長友とか、ずーっと出てる人たちがまだ出てて(しかも(素人目には)ちゃんと活躍してて)っていう状況はどうなのかなとも思いましたけど、結果的に勝てたので何よりです。
それよりなにより、突然監督に就任された西野監督という方、すごくないですか。
突然代表の監督なんていう超プレッシャーのかかる役割につけられて、そこから間もなく4年に1度のワールドカップ。
無茶言うな!って感じだったと思います。僕だったら言います。
しかも、その中で結果を出すところですよ。
世界ランクが日本より上の相手ばかりのグループで、全敗まであると予想されてのスタート。
1勝1敗1分って大健闘でしょう。
ポーランド戦の後「せっかくなら勝って予選突破してほしかった」みたいなこと言ってる人も(Twitterとかで)見かけましたが、
いやいやと。格上だぞと。たまたま今大会は敗退が決定している状況とはいえ、それでも日本より地力があるというのは忘れちゃいけません。
1つの勝ちに浮かれて現状を見失うのは良くないですよね。
それより何より、ポーランド戦の最後のパス回しの時間。
コロンビアがセネガルをこのまま破ると日本も決勝トーナメントに行けるというルールの下のベンチからの決定のようで。
「勝負師」って感じですね。
自分らの運命を他のチームに投げるのが勝負師かはともかく、ギャンブル的でも確率の高い方に冷静に方向転換したってことです。
こんなことできますか?
会場でのブーイングもテレビ越しにわかるぐらいすごかったです。その中でも判断をブラさない強さ。
監督の良しあしでそこまでチームが変わるとは思ってないのですが、今回みたいなケースでは監督の力が分かりやすく問われますね。
野球では中日の落合監督時代が似ているように思います。「勝つことが最大のファンサービス」という哲学のもと、非情とさえ言われる采配で日本一になりました。ただし、見ていて面白くないという批判も間違いなく存在しました。
「見ていて面白くないから批判する」というファンのあり方ってものすごく難しいですね。
当人たちは必死に結果を追い求めている、けどファンあってのプロスポーツとしては見せ方も考えなくてはいけない…
僕は昨日の采配については賛成です。大会前から勝ちにこだわるといってきたチームとして、最適な判断だったでしょう。
あれを批判する人って甲子園でのカット打法とか、有名どころでは松井秀喜の5打席連続敬遠も批判するのでしょう。「正々堂々と対決して、ダメなら潔く負けろ!」とか言って。
そんなことに構っていられる余裕はないと思います。1度しかないチャンスに命を懸けている当人たちにとって、目の前の勝利こそが大切なのです。
だからこそこの決勝トーナメント進出には価値があると思います。この後が楽しみですね。いよいよ強豪しかいないわけですから。
ことばと国家
言語社会学というレポートの課題で書いているテーマです。
「ことば」というものを定義するのは実はとても難しいもので、どこからどこまでのずれを許容してどこからは別物とみなすのか、はかなりケースバイケースのようです。
例えば、「日本語」というくくりの中の方言として琉球方言と東北方言は存在します。ということは同じ「ことば」としてカウントされるわけですよね。
けれど、この2種類の方言は相互理解が非常に難しい、という事態が起こります。語彙の差が大きすぎるため。
標準語、と言われている日本語を介さなければかなり難しいそうです。
だったらヨーロッパの諸言語でも事態としては似たようになるのでは?と思います。
具体的には詳しくないのですが、陸続きになっている地域で用いられる諸言語間の差が琉球方言と東北方言より大きいとは思えません。東京方言とでさえ、琉球方言との差はフランス語とイタリア語の差に匹敵するという研究もあるそうです。
フランス語とイタリア語が別の言語で、琉球方言と東京方言ないしその他の日本語方言が同一言語とされるのは、ひとえに政治的理由に根拠を見出すことができます。
つまり、「国家が「ことば」を定義している」と言える例です。
ただ、これだと異なる言語圏の統合に際して不都合が生じます。支配的なことばと少数であったりして社会的に影響力の弱いことばが発生し、弱いことばの話者が不利益を被る機会が増えてしまいかねません。
では、逆に「ことばが国家を規定する」ことは考えられないでしょうか?
言語学者ソシュールが提唱したのが「言語共同体」という概念でした。
同じことばを用いる集団を「国家」と定義することによって、こうした異なる言語間の摩擦を解消することができます。
すると言語間の優劣がなくなるので、各々の言語に特有の語彙や表現を保持することができます。
ソシュールが「言語共同体」を提唱したのは言語学的研究をより純粋に、社会的影響力を排除した状態で行うためでしたが、政治的摩擦の解消のヒントも含んでいるように思います。実際に、スペインでは全体の公用語としてのスペイン語の他に、バスク語やカタルーニャ語を地域公用語として制定することで対立の緩和を試みているという例もあります。
こうして考えると、「ことばが国家を規定する」ということも考えられます。1つのことばが通用する共同体を国家として見ることに論理的な矛盾はありません。(国家とは何か、という定義に関して議論する必要はあります。)
グローバル化する社会の中で、英語が優位な現状を変えていくのは困難ですし、そうすることによる不具合も生じてくるでしょう。
そうではなくて、それぞれの言語を尊重し、多くの文化が共存していける社会の方が精神面で豊かさをもっていられるように思います。