教育と社会

ゼミの人たちとご飯食べながら話してた内容が面白かったので備忘録的に書いておきます。

 

「子育てするなら都会(東京)と田舎のどちらが良いか」という話から。

 

東京だと親が子育てに熱心で、中学受験は当たり前、小学校受験もかなり浸透しているという事実があります。

話をしていた友人の一人も中学校受験組で、一橋大学全体を見ても中高一貫校出身者はかなり多いです。

また、公立小学校の中でも学区によって中学受験に対する積極性が変わってくることもあるようで、ある種ブランド化された公立小学校もあるそうです。

そうなってくると、親の姿勢が問われるようになってきます。越境入学させるという手もないわけではないし、実際にブランド校の学区に引っ越してしまうというのも考えられます。そのため、学区としてどこに位置するかで地価がかなり変わっているということもあるそうです。

 

そういう子たちは、親の熱心な教育のもと様々な習い事に精を出し、忙しく過ごすというのが大半です。

それが子供のためになると考えるか、自由な時間を早くから奪うことになってかわいそうとみるかで教育に対する姿勢は二分されると思います。

 

田舎で育てるのであればこういう心配はおそらく不要です。ブランド化された公立小学校の存在も少なく、平凡な?小学校でゆとりをもって過ごすことができるでしょう。

ただ、その分将来にわたって競争する場面では、都会出身の勉強を重ねてきた勢力に劣ることは十分考えられます。

 

早いうちから受験させることで、意識の高い子や親の社会的地位が高い子など、様々な点で特徴を持つ仲間ができるのは間違いありません。有名校に行くほどその点のメリットは大きくなるでしょう。政治家や医者の息子と知り合う機会があれば、早いうちから将来について考えるきっかけになるように思います。

一方で、公立学校ではそれ以上に多様な社会層から入学してくるので、より視野が広くなるということも考えられます。いずれ受験をしていく中で、自分と異なる社会層の人とは徐々に接する機会が少なくなっていくわけですから、無差別的に集められる機会も貴重であると言えます。

 

親の教育方針で子供の一生の方向性が大きく変わりうるという点で、非常に責任重大だなと思いました。

子に願うことは細かく見ると人それぞれかもしれませんが、少なくともその子の特性に合った育て方をしてあげるように気を配るのが親の務めと言えるでしょう。

 

 

 

預金額が増加しないことに対するいくつかの考察

〈もくじ〉

・はじめに

・現状認識と目標設定

・改善

・おわりに

 

・はじめに

本論では、大学3年生にもなって一向に預金額が増加しない現状を憂い、改善のためにすべきことについて考察し、生活の改善に向けての有効な取り組みについて述べる。

なお、やや硬い論調になっているのは筆者がレポートやレジュメ作成に追われている中、現実逃避的な意味を込めてこの記事を書いているという事実による。

 

・現状認識と目標設定

筆者は現在大学3年生であり、これまでに2年間大学生活を過ごしてきた。入学とほぼ同時期にアルバイトを始め、同時に野球サークルにも加入した。当初は月に6万円程の収入とそれ以下の支出でやりくりしており、一時は給料日前日であっても5万円ほど口座に残っていた。しかし、現在では給料日前に1万円残っていることさえ少なくなり、預金用の別の口座に移すこともままならない。

こうした現状下では、旅行やその他大規模な出費のための用意もできず、諦めなくてはいけなくなるという可能性すら考えられる。

そのため、1カ月あたり最低でも15000円の預金を第一目標とする。

一方で、日々の食費や交通費、また最低限の交際費を出し渋ることは避けたい。こうした点を考えると、平日1日あたり1000円の出費は不可避であるとともに、交際費も月に15000円程度は確保したいところである。

1000×20+15000 =35000

35000円が最低生活費として確保されるべき金額である。

加えて、突発的なイベントも月に1度程度の割合で入ってくることは経験的に実証済みである。そのための予算として10000円を加算し、45000円を1ヶ月の可処分所得として生活することを達成のための手段とする。

・改善案

 予算案は往々にして赤字となることが予想される。そのため、広く応用可能な生活方針を立てておくことで不測の事態のある月でも着実に預金額を増やせる生活にすることを目指す。

(1) 出費を減らす

前述の通り、出費を減らすことが効用が最大であると考えられる。

2018年4月には飲み会が5回あり、これだけで計24000円の出費である。仮に週1回にすれば丸々4000円近く出費を減らすことができる。

また、不要な出費としてはおやつや飲み物代といった点の節約も必須になる。まとめて食費として計上し、先月には15000円であった。仮に3000円でも減額できれば大きな進歩となる。

合計として55000円近く使っているのが現状である。なんとか10000円の預金は成功したものの、まだまだ改善の余地は大きい。

具体的な手段として、普段使用する口座に残高があれば使ってしまうので、別の口座に45000円以上の分を移動させ、これまでに使ったクレジットカードの引き落とし等で必要なときはその都度戻すという手法を取る。

(2) 収入を増やす

では、出費をそのままに、収入を増やすことで解決するという策に可能性はないのか。

現状サークルとゼミの日を除いて週2~3のペースでアルバイトをしている。仮に週4のシフトとした場合、他の活動に支障が出ることは避けられない。収入こそ1カ月あたり20000円ほど増加することが見込めるが、ワークライフバランスの観点からも好ましくない。

ただ、より時給の高いアルバイトに転職する、ないし単発のアルバイトをして調整するという手段は可能である。転職については現在検討中だが、時給換算で100円増加するだけでも1カ月あたり5000円ほどの収入増が見込めるという点は魅力的である。ただし、移動を含めた拘束時間の面などは懸念材料でもある。

 

(3) 資産運用という選択肢

補助的な手段として、資産運用が考えられる。

だが、これで収入の足しになるほどに稼ごうとするのは非常に効率が悪い。大学生として取れるリスクと必要と考えるリターンが釣り合っていないからだ。仮想通貨や少額投資も考えたが、いずれも効率の面で却下した。労働の対価としての収入が堅実であることは疑いえない。

 

・おわりに

以上のように検討してきた結果、基本戦略としては

・出費を1カ月あたり45000円→1週間に10000円程度

・収入を最低でも70000円確保する

という2点が示された。

そして、目標としては

・月に20000円を超える預金

を掲げる。

結果として、無駄な出費を減らし、使いたいときに存分にお金があるという状況が理想であることに疑いの余地はない。

ゼミ 4/26

第2回のゼミについてまとめておきます。

自分としての備忘録も兼ねています。興味のない方はごめんなさい。

 

今回読んだのは『シルバー民主主義の政治経済学』です。

 

シルバー民主主義の政治経済学 世代間対立克服への戦略
 

 図書館になかったので全編PDFファイルで読む羽目になりました。200ページくらい?

印刷するのも紙がえらいことになるのでひたすらスマホとにらめっこです。疲れた…

 

さて、日本においては、高齢者が政治的な意思決定に積極的に働きかける「シルバー民主主義」化が進行していると言われています。

でも、それって本当にそうか?というのが本書の出発点です。

確かに高齢世代への社会保障は拡大していますが、同様に若い世代への支援も充実されてきており、必ずしも高齢世代のみに偏った政策が採られているわけではないのが現状です。

そのため、日本の現状はむしろ政治家が高齢者を票田とみなしてその意思を忖度する「シルバーファースト」状態であるといえます。そして、高齢者の増加と若い世代の投票率の低下がシルバーファースト現象を加速させています。

 

とはいえ、高齢者向け社会保障(年金制度など)も若い世代向けの支援策(子育て支援など)も等しく拡大されているのが現状です。そして、その財源は増税と全年代向け社会保障の削減で賄われることになります。

そうするとどの世代も負担は増加するわけですが、高齢世代よりも若い世代の方が負担期間が長いのでより損をします。

さらに、まだ政策決定権を持たない将来世代はもっと損をします。

 

この構図を防ぐためには、民意による変革が必要です。

そのため、適切な情報公開と予測の提示で利他心に訴えかける必要があります。

この二つを独立して行う機関として第三者機関を設置することで市民の啓発につながり、不平等のない社会政策が実現するという論調でした。

 

ゼミの中で議論になったのがこの「第三者機関」の機能可能性です。

情報開示と予測の公開をしたところで関心の無い層には届かないというような悲観的な意見も出ましたし、そもそも同様の機関は現在でも存在しているとも言えます。

独立性の維持も議論の余地がありますし、権威を与えすぎると民主制とのギャップが生まれてしまうということでなかなか難しいところです。

対策として外国から監査チームを招聘することで独立性を担保することも一案として出ました。全体としては「あっても困らないかもしれないが、改革のための決定打にはならなさそうだ」という意見が優勢でした。

 

また、民主制の限界を指摘する意見もありました。民意はあくまでも代表の選出にのみ関わり、実行については関与するべきでないという意見もあり、また民意が多大な影響力を持つ政治システムの中では(選挙がなく、民意の暴走に対する歯止め役となるはずの)官僚が機能不全に陥っているという論もあります。

要するに、民主主義の関与できる範囲をどこまでにすると適切かという点に議論が集約されます。

代表制を取る以上、民意のかかわる範囲は代表の選出過程と住民投票のような特別な範囲に限定されるべきで、政治の側からは過度な民意の尊重は不要であるというのが結論でした。

 

それにしても民主制ってきちんと機能するのが非常に難しいシステムですね…

一人ひとりが政治主体であるという意識をしっかりと持っていないといけません。

ゼミ 4/19

昨日は初めてのゼミがありました!

3,4年生と教授を交え、17~19時の予定が20時まで延長するほどの熱い議論ができて非常に有意義でした。

 

比較政治、政治理論を専攻していくということで、古典から新書まで幅広いジャンルの本を週に1冊読み、内容をまとめる人と論点を挙げていく人に分かれて議論していくという形式。

週に1冊というのがまぁまぁ重いのですが勉強へのモチベーションが高まっている今は大丈夫です。バッチコイです。

 今回読んだ本はこちら。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

 

『多数決を疑う』です。

多数決は様々な場面で使われているにも関わらず、実は細かく検討していくと優れたやり方ではないということが分かります。特に、衆議院選挙のような重要な多数決においては、民意を的確に集約できないルールは民主主義の根本にかかわってくる問題です。

 

多数決の最大のデメリットは「票割れ」です。3つ以上の選択肢がある時、票が分散してあまり望まれていない選択肢が勝ってしまうことがあります。

また、ペアごとにして2択の状況を考えた時に、ペアで勝てない選択肢が全体では1位に

なってしまうことも考えられます。

 

これを踏まえて考えると、多数決が使われているのは「文化的奇習」だと筆者は主張しています。

代替案の中で筆者が推すのは「ボルダルール」です。

3つの選択肢であれば1位に3点、2位に2点、3位に1点と割り振って評価する方式です。

この方式だと全体の順位とペアを作った中での順位の両方を考慮することができ、死票も事実上なくなります。また、他にも選択肢に点差をつける方法はありますが、等差に刻むことでさらに公平になり、理解しやすくなります。

 

他にも真ん中の選択を採用する「中位選択肢ルール」、金額で評価して最もプラス評価を得た選択肢を採用する「クラークメカニズム」などが紹介されていました。

 

こうした選択肢と比較すると、なぜ多数決が採用し続けられているかが疑問になります。

理由として考えられるのは

・わかりやすさを最優先する風潮がある

・見直そうという風潮がそもそもない

・(衆議院選挙)多数決で選出された議員が、自分の利益を度外視して現行制度を変えることは考えにくい

 

等の意見が出ました。

また、こうした状況を踏まえた日本政治の問題点として、代表制のため民主主義が形骸化しているという指摘がありました。

住民投票公聴会という手段はありますが、結局は法的拘束力がない中で執行する側が絶大な権力で民衆の要求を退けることができる点が問題です。

解決策としてはクラークメカニズムの導入で、立法と行政のバランスをとることにつながると考えられます。

全体としては、状況に応じて適切な民意の集約法を使うことで、なるべく民主主義を実質的な、有意義なものにしていくことが必要で、そのための議論を惜しむべきではないという話に落ち着きました。

 

多数決を疑うという姿勢そのものが、普段の生活の中であまり出てこないと思います。が、よく考えてみると実は変えることに何の不都合もないということが分かりました。

視点としても他の人が挙げた論点は自分では気づけないことが多く、そういった点でもゼミの有意義さを感じました。

 

 

 

おしゃべり

サークルの仲間とふたりきりでひたすらしゃべる、みたいな時間を持ちました。

 

普段こういう時間って意外なほど少ないんですよね。

サークルやら授業やら、はたまた飲み会や麻雀の場ではなかなか他愛もない話というのは難しいものです。

 

僕はソイツに一目置いているので、2人だと結構深い話とかもできてしまいます。

お互いの価値観の話とか、最近勉強したこととか。

こちらが人工知能の話をすればあちらがIoTの話をする、こちらが現象学の話をすればあちらは経済学の話をするといった感じに。

専攻分野が違う分、全然知らなかった分野の話を聞けてすごく楽しく、視野が広がったように感じました。

その中でいくつか面白かった話を。

・彼女はいた方がいい

 彼女、ないし彼氏は必ず自分の味方でいてくれる存在です。

自分がピンチに陥ったときも、恋人だけは自分のことを肯定してくれるはずです。肯定してくれないなら別れた方がましでしょう。また、恋人に恥ずかしくないように自分磨きもするはずです。ファッションや言動に気を使えるようになれば人間として成長することにもつながります。そんなわけで、自分の存在価値を自分で肯定するためにも恋人はいた方がいいという結論に至りました。

 

・仮想通貨でスッたお金は価値ある勉強代

2人とも仮想通貨に手を出し、揃って損をしています。僕は1万円ほどですが、彼は10万円近く損をしているとのこと。

それでも、無駄な出費ではなかったという認識は共通しています。

「楽して稼ごうという考えが甘い事」「勉強せずに始めると痛い目に遭う事」

こういったことを身をもって学ぶことができたという点で、授業料を払ったと考えれば貴重な経験だったと言えます。

 

・就職に対してポジティブであろう

現在大学3年生の僕たちは、来年の今頃には絶賛就活中なわけです。そのため、そろそろ考えなくてはいけない時期だったり、先輩の話とかも聞こえてきます。

どうしても大変そうであったり、苦労したという類の話を耳にする機会が多いです。

そうなってくると、どうしても現実逃避したくなるものです。彼はプロを目指そうかという程麻雀にのめりこみ、僕は大学院進学を検討しました。

でも、結局それを本気で追及するほどの覚悟は持ち合わせていないという結論に達しました。

あくまでも就職からの逃避としての選択肢であり、積極的な決定ではないというのが本質です。

であるならば、現実から目を背けることなく、きちんと就活に向き合って自分のやりたいことを探す方が建設的だよね、という話になりました。

 

こうして書いてみると、他愛ない話でもあります。

ただ、日頃考えていることを言葉にして交わしてみると新しい発見や別の見方に気づくことができるのでとても新鮮です。

 

いつもこういう話ができるわけではないですが、たまにはこういう時間も必要だな、という気がしました。

ゼミ

 

koba2580hitotsu.hatenablog.com

 

ほぼ同じ内容の記事を2回書く程に重要な案件だったゼミ先行、ようやく終了しました!

 

選考を通過し、政治学のゼミに所属することが決定しました。

 

定員10名の所14人の応募があり、面接による選抜が実施されることに。

面接の中で1番問われたのが「なぜこのゼミを選んだのか?他のゼミではダメなのか?」という点でした。

志望者の興味関心とゼミの方向性を一致させるために重要な質問です。

 

僕は元々「社会とは何か?」という問いから学びをスタートさせています。

そして、社会のシステムと現状の問題点を理解するために政治という分野にターゲットを絞って研究したいということで政治学を専攻したいと考えました。

 

ただ、教授からは「社会学のゼミではダメなのか?あるいは社会を理解する角度として他の分野ではどうしていけないのか?」をかなり突っ込まれました。

興味、将来への展望がざっくりしすぎている、とも。

その点に関しては僕自身も感じています。

学問についての興味はある、けれどこれだ!となるようなものはまだない。

社会に出て働くというルートを予想している、けれど具体的に志望する就職先はない。

 

こういう状況であるため、突っ込まれてしまうのも全く無理はありません。

こうした状況を打破するためには、日常から自分自身と真摯に向き合っていかなくてはいけないなと感じました。

興味のあることに積極的に挑戦し、行き詰まったときにはとにかく何か挑戦してみる。

無駄な努力に終わる可能性を恐れない。

時に楽しく、時に熱く語り合える友人を持つ。

 

こういうことの積み重ねが「自分という人間がどういう存在であるか」を形作っていくのだと思います。

大学生としての期間がまだ残っているうちに気づく機会を得られたのは幸運でした。

 

人との出会い、自分の中での思考の深化、このあたりの努力を怠ることなく日々過ごしていこうと思わされた次第です。

いい季節になりました。どこに行っても満開の桜です。

 

昼間見て綺麗なのはもちろん、夜見てもあれほど感動的な花って他にないんじゃないでしょうか。

〇〇が見頃です、というニュースは一年通してあるわけですが、〇〇前線と呼ぶのは桜だけですよね。

散り際が美しい、と評されるのも桜だけだし、花見と言った時に真っ先にイメージするのは薄ピンクの桜の下にシートを敷いて楽しむ光景。

別に他の花で花見と言っても何の問題もないはずなのに、そこは頑なに桜に特別な待遇を与えているように思います。

桜の中でも特にメジャーなソメイヨシノの歴史は江戸時代にはじまるというのが通説で、明治時代以降に爆発的に広まったようです。日本のみならずアメリカやヨーロッパにも渡っているようですね。海外でも花見の文化が広まったりしているのでしょうか。

 

接ぎ木で増えるということで、今あるソメイヨシノのルーツをたどると非常に限られた数の原木に行きつくということです。いわばクローンといえるものなんですね。

日本中にあれだけある木なのに、由来をたどっていきつく先は江戸の1つの村だということには驚きです。

 

そして、お花見。いいですよね。

実は日中にお花見してきたのですが、いい天気の中で桜を見ていると、すごく安らぎますし、平和であることを実感します。何も考えずに眺めていることができるものって、なんであれ貴重であるように思います。

 

昼間はもちろん、夜桜も欠かせません。

ライトアップなどされていなくても、街灯のような最低限の明かりで十分です。

しかも、夜桜はできれば一人で見たいですね。

静かな空間に一人、桜と向き合う。なかなか良い時間の過ごし方になることでしょう。

 

日常の忙しさから離れる機会としておすすめです。