性格の話

まぁ、そもそも性格ってなんだって話ではあるんですけどね。

楽観的/悲観的 とか、まじめ/適当 とか、ここで使うのはまぁそんなような意味です。

 

当然のことながら、同じ性格の人はこの世界には2人といません。ある場面においては同じような反応を見せるけど、他の場面においては違う反応を見せるとか。

ただ、性格を外部から知る方法って行動や反応を見るしかなくて、その結果「他人には本当に人格というものが存在するのか」という問いも発生し得るのですが、さしあたり個々人はそれぞれ行動から見て取れるような固有の人格を持っているとします。

 

各々が個人的に活動しているうちは何も問題ありません。やりたいようにやればいいし、問題が発生したら話し合いや時には実力行使をもって解決すればいい話です。

これが極めて原始的な話。動物の世界とかはこういう原理で成り立っているという風に考えています。あまり詳しくはないので、そうではない種類の動物もいるのかもしれませんが。

で、問題は人間の場合。非常に複雑で多様な集団を構成しています。「社会」と呼ばれるもの、「チーム」、「グループ」、などなど。

こうした集団内において、最優先されるべきは集団全体の利益でしょう。そうでなければ集合している意味がありません。

もしもその中で、あくまでも個人的な利益の追求にこだわる性格の人がいたら?

組織としての破綻は間違いありませんね。協調性のない存在は全体の統率を乱すし、その結果として全体の損失につながります。こうした存在をいかになくすかが集団を構成するうえでの最も重要な課題だと思います。

性格はそう簡単に変わるようなものでもないですが、統率していく側の人が全体の利益と個人の利益をできる限りマッチさせることで、集団のために奉仕することのできる存在が増えていくのかなぁと思います。